11月28日、アウラ音楽院八王子校にて、ドイツ・ケルン音大アーヘン校教授・佐々木忠氏のマスターコースが実施された。演奏、録音、出版の諸活動でも活躍する佐々木氏のもとからは、数多くの優れた若手ギタリストが輩出しているのは周知のとおり。今年の東京国際ギターコンクール優勝者Tomasz Zawieruchaも氏に学んでおり、これで東京国際ギターコンクールは4年連続して氏の門下生が優勝を攫うという結果になっている。
 さてレッスンは午後1時に開始され、途中僅かな休憩を数回挟んだだけで夜8時過ぎにまで及ぶもの。佐々木氏と7人の受講者を約20名の熱心な聴講者が囲み、有意義な時間がもたれた。ここでは譜例を用いていないため、受講曲の部分部分での氏の具体的なアドヴァイスを紹介するにはまったく充分ではないのだが、見出しを立ててできるかぎりそのポイントを伝えるよう努力した。諸兄のギターライフ~演奏と鑑賞の楽しみ、日々練習の糧に役立てていただけたらと思う。なお佐々木氏の発言部分は、極力そのニュアンスを変えないよう留意したつもりだが、一字一句発言の通りではないのでどうかその点はご了承願いたい。

■受講生の意見にも熱心に耳を傾け、爪まで磨いてくれる懇切丁寧さ…、しかし穏やかな口調の中には厳しい要求が
 レッスン全体を通じて印象に残ったのは、氏の穏やかな口調と懇切丁寧な指導…、「今、メカニック練習は何やってるの?…いきなり演奏に入って大丈夫?」といった具合に受講者の緊張を解しつつレッスンが開始されるわけだが、しかしその中には厳しい音楽的要求が示唆されていたことである。ひとことで言えば「非音楽的な音を一切見逃さず、その解決策への追求を緩めない…」となるだろうか。初心者のフォーム、爪、リズムの問題に始まり、いかに難曲であってもテンポやビリつきに妥協せず、その音の選択の意味を問う。そして問題を指摘するに止まらず、受講生の意見にも熱心に耳を傾け、音楽を自然な美しさへと導くための考察を怠らない。そんな真摯な姿勢を強く感じた。

■この日のレッスン…4つのポイント
 この日のレッスンで示されたポイントは、大きくは次の4点である。

  1.その曲を弾きこなすための基礎テクニックへの着眼

  2.爪の問題、弦の問題、楽器の問題 

  3.より音楽的にひくための運指をどう工夫するか 

  4.バッハの原譜とギターのテクニック

 以下、各受講者のレッスンの模様を記すが、上に挙げたポイントの順序に沿ってまとめるため実際の受講とは順序を変えて書かせていただいた。(実際の受講は上野、東、井上、市田、森、石村各氏の順)

■最初に弾くのは緊張するよねぇ… 上野信千:練習曲op.31-3(ソル)
最初の受講者はまだキャリアの浅い大学生。緊張の中、ニ長調の練習曲を初々しく演奏。

★基礎練習に3度の半音階
 「人前で弾くのは緊張するよねぇ、それに1番最初だしね…」といった感じで、先ず受講者の緊張を解しにかかる。しかし早速、左手の基礎テクニックに課題がある、とのことで、②③弦上で1・2、2・3、3・4指を使った3度の重音による半音階を練習させ、左手の理想的な形と小さい動きを習得するよう指導する(楽譜の余白に、氏が音符を書き込んでくれる)。もちろん目的は「フォーム」そのものではなく、3度を滑らかに美しく弾くことだが、そのためには「理想的なフォーム」が不可欠である。この練習は他の受講者のレッスンでもとりあげられた。なおこの練習はポジションを移動したり、①③弦(6度の重音)などでも応用できる。手首や親指の位置やフォームをチェックしつつ練習を続け、しかる後その成果を実際に生かすべく、曲中の3度の部分を弾かせてみる。
「イイじゃない」
「なんかヘンな感じです」
「そう?ぼくはさっきの方がヘンな感じだと思うよ(笑)」
勿論、受講者はまだ完全にフォームを取得したわけではないので、セゴビアのスケールなどを行なうと前の形が出てしまう。しかし曲中で和音の押さえを(理想的なフォームのカタチに)一瞬整えようとしたところにはっきりと練習成果、即ち受講者の理想的なフォームに対する意識の芽生えがうかがえた。

★毎日の課題のとり組み方
 曲中に現れる未消化のテクニックについてはその部分だけを取り出して行なう必要があるとのことで、ここではスラーの部分を練習させた。このこと自体はアタリマエだが、大切なのは「曲以外に」「今自分に1番必要な課題を」「毎日の練習として」「譜を見ないで、いろいろなチェックをしながら」「集中力をもって」行なうことである。そのため曲中スラーのパッセージにそれぞれナンバリングを施すなど、これらを曲の一部というより練習課題として意識させるよう指導していた。またリズムが曖昧な部分については手拍子を打たせ、正確なリズムが刻めるようになるまで繰り返した。毎日の課題は、何をどれだけやれば良いといったマニュアル的な考えではなく、今取り組んでいる作品の中にどのようなテクニックが使われており、自分に何ができていないかを分析・シンプル化することが必要だろう。受講者の使っていた曲集について氏が言われた「良い曲集だね、で、それぞれの曲を弾けるようになるためのテクニック練習が隣に載ってたらもっと良いよね」との言葉が印象に残った。

■爪が良ければラクに弾けるんだ… 井上得四郎:アルマンド~無伴奏vnパルティータ第2番(バッハ)
 受講者はキャリアのありそうな中年男性、しかし難曲だけに緊張気味。レッスンのポイントは、右手の爪・タッチと左手のフォームについて。受講者はよく弾いているが、難曲と緊張のためタッチが不安定で音も小さい。問題解決のためには、爪を理想的なカタチに整えることも必要であるとして受講者の爪を磨いてあげるのだが、右手各指を弦にタッチさせたままの状態で、弦との接点、角度などを観察しながら行なう丁寧さである(楽器を傷つけないように静電気で付着する透明シートまで敷く)。昔、イエペスが受講者の爪を1人1人(極度の近視なので)虫眼鏡を使って観察しながらアドヴァイスしていたという話を思い出した。

★理想の爪を得るには…秘密兵器登場
 この井上氏のレッスンからちょっと離れるが、後述、東 隆幸氏のレッスンでも爪の問題がとりあげられた。その際、「良いギタリストに爪の悪い人はいない」「爪が良ければラクに弾けるんだ」との話に続いて登場したのが、佐々木氏の考案になるという「爪の矯正具」。これは短く切ったゴムホースの内側に同じ形状の木を詰め込んだもので、普段(もちろんギターを弾いていないとき)ホースの内側と木の表面の隙間に爪を挟み続けておくことで、新しく生成してくる爪の湾曲を強制するのだという。「1年すれば理想の爪になる」そうなので、関心のある方、爪で悩まれている方はぜひ問い合わせられたい。

★コントロールされた音…指を置いてから発弦する
 右手のタッチを安定させコントロールされた音を得るため、右手各指をその都度弦に置きながら(弾弦後すぐ弦に触れる)スタッカートでアルペジョを弾く練習を紹介する。この練習は、後述、森 淳一氏のレッスンで、カルレバーロの課題としてさらに詳しくとりあげられたが、先般初来日し好評を博したパヴェル・シュテイドルの達演 に触れ「彼はこの練習をシッカリやってるんだ」。
 そして指の動きにまかせて弾くのでは本当の表現はできない。アルマンドのリズムを明確にするには強・弱拍のグルーピング、それと右指の意識を合致させること(=コントロール)が必要だとの指摘がなされた。左手についても「基礎をやらないと」ということで、やはり前出3度の半音階を練習。作品については最初の数小節を取上げ、旋律線が和声を形成している部分を意識させたり、2声部の扱いを意識させたりといったレッスンが行なわれた。ヴァイオリンの無伴奏作品であるこの曲の場合、下声部の保持の仕方で和声の解釈が違ってくるのだが、ここでは左手の理想的な形をつくるために、あえて低音を保持しながら(押さえたまま)弾く練習を行なった。なおバッハの無伴奏作品については後述、東 隆幸氏のレッスンで、バッハがヴァイオリンのために書いた楽譜とギターの機能の関係が詳しく取上げられた。

■爪と肉の間に食い込ませる…弾弦のポイントを持っていれば手が震えても対応できる市田昌巳:バレー(グルック)
 受講者は、前の井上氏によはキャリアの浅いと見受ける中年男性。ギターを慈しむように演奏したが、レッスンはやはり左右の基礎テクニックが中心となった。その前に先ずは調弦から。

★合わない弦の有効利用…ブリッジ側に余らせておいて逆さに
 「最初に①⑥の開放弦の音程をオクターブでキメてしまい」後、各弦の音程を微調整していく方法が提案される。しかし実際には余程「狂いのない弦」に当たらなければ良い調弦は難しいとして、佐々木氏は自身の楽器を使い、同一弦上で開放弦と4度や5度を押さえた音の狂いを示してみせる。
ここでまたこの市田氏のレッスンから離れるが、後述、石村氏のレッスンで、合わない弦に対する氏のアイディアが披露されたので紹介しておく。
 通常、弦を張る場合、ブリッジ部分に短く留めて余った長い部分を糸巻きに巻きつけていくわけだが、氏は逆に糸巻きに短く留め、ブリッジ部分に余りを長く垂らしておくのである。一旦即ち糸巻きに強く巻きつけてしまった部分はもう弦として使用できないが、この方法だと新しい弦の伸びが落ち着いてもなお狂いが甚だしい場合、逆さに張って音程を修正できる可能性があるということだ。参考とされたい。

★弾弦ポイント…綱渡りの名人のように
 ここでも受講者の爪をよく観察、「上手く削っているね」と評す。しかし「まだフォルテで弾いたときなどに引っ掛かる部分があるから」ということで、同様に丁寧に磨きをかける。結果に市田氏はたいへん満足の様子。次に右手のタッチについて、やはり受講者は緊張気味なので「弦を爪と肉の間に食い込ませるようして、そこにある弾弦ポイント、キメどころを掴む」ことを意識させる。サーカスの綱渡りの名人は足裏に綱のフィットするポイントをもっているという例を曳き、弾弦のポイントをしっかり持っていれば「アガって手が震えても弦をパッと掴むことができる」とのことであった。
 この受講曲では、3度の和音を如何に美しく響かせつつ、メロディーを滑らかに紡いでいくかが肝要である。ということで当然、ここでも前出の3度の半音階練習が課せられた。和音の繋ぎで音が切れないようにするための運指が提案されたり(「こういうやり方でも良いよ」)、音楽の流れを方向付ける大切な和音の指摘、低音の流れをよく聴くこと(それによって和音の押さえ間違いも避けられる)などが説明された。

■より良い運指を考えることは謎解き…ぼくなんか電車乗ってても運指のこと考えてる
 森 淳一:セゴビア(ルーセル)、アラベスク(クレンジャンス)
 さてここからの4人はプロギタリスト。従ってレッスン内容も密度が濃くなり、必然要求も高くなる。フランスでベート・ダベザックなどに学んだ森 淳一氏は、当アウラ音楽院八王子校の講師を務める若手ギタリスト。ルーセルの〈セゴビア〉を弾く。

★指の動きはもう出来ていて、後は音楽なんだから妥協して先に進まないで
 森氏の演奏に対し佐々木氏は、上記のように評しつつ、セーハの持ち替えによる僅かな響きの濁り、冒頭4分の3拍子「アレグロ」と途中8分の3の「アレグレット」のテンポに整合性がないこと(「アレグレット」がそのテンポだったら「アレグロ」が遅いよね)、poco rit.する位置が楽譜に記されている場所と違う…といったように細かい指摘を連ね、森氏もそれに的確に対処していく。このpoco rit.の楽譜に指定された開始位置には多少違和感もあるのだが「3つの個所でそう印刷されているんだから、多分これは作曲者の意図だと思う」ということで、「馴れるまで全体を遅いテンポで繰り返し、感じをつかむ」ことを要求。森氏は「多少テンポを犠牲にしても和音の面白さを」という考えのようだが(氏が参考にしたと思われる作品献呈者のセゴビアの録音でもそのように弾かれている)、佐々木氏は「ノントロッポだけど、やっぱりもっとアレグロの感じを」「そのためには、この運指では速く弾けない」「セゴビアも作曲者の音を変更していると思われる」ということで運指の変更、和音の構成音のカットを検討・提案、以後、それを森氏が確認していくというような形でレッスンが進められた。運指について「謎解きだね、ぼくなんか電車乗ってても運指のこと考えてる…退屈しないよ」とさりげなく語る佐々木氏。より合理的で美しい音楽を生むための飽くなき姿勢には感得させられた。
 なお運指の問題と密接に係る、和音の省略については、次の石村氏のレッスンでは受講曲がピアノ曲の編曲でもあり、さらに細かい検討がなされた。

★右が難しいところはできるだけ左をラクに、左が難しいところはできるだけ右をラクに…
 森氏、もう1曲、今度はクレンジャンスの難曲にして大曲〈アラベスク〉を演奏。美しく弾かれているが、佐々木氏は「これを終始流れるように表現するのはたいへだなぁ」としつつも、「テンポが遅い。この曲の寄せては返すようなルバートを表現するにはもっと速いテンポでなくては」と妥協しない。そして森氏の楽譜を見て「右手の運指があまり書き込まれていないけど、それだと(指の運びに)偶然性が作用してしまう可能性がある」と指摘。「完全に右手がキマっていなくて、偶然でそうなるのではいけない。速いパッセージでも転びそうな動きを感じさせない、確固とした安定感を」と厳しく要求した。そのためには(前曲での左手同様)右手運指にも熟考を絶やさないことが重要で、弾き難そうな3度のパッセージを指して「その運指しかないかな?」と検討の後、p指を使った運指を提案する。この部分は左手も易しくないので、先ず開放弦を使って新しい運指を試させる。ここで先に井上氏のレッスンのところで触れた「弾弦後、各指を直ぐ弦に置いて消音(ないしスタッカート)するアルペジョ練習」を勧める。カルレバーロの練習課題を例に挙げ、またa指を弦上にセットしておいてヴィラ=ロボスの〈練習曲第1番〉を弾く方法などが紹介された。難曲、難所にはやみくもに取り組むのではなく、運指の検討・解決が完全に終わっていない部分(果たしてもう検討の余地はないか…)と、あとは練習を重ねるだけという部分をハッキリ分けて意識することが必要である。そして、一例として右手の困難なパッセージ部分に左手スラーを用いるなどの提案もあったように、佐々木氏が心がけているという「右手が難しいところはできるだけ左手をラクに、左が難しいところはできるだけ右をラクに…」これはやはり当を得ている。しかし肝要なのは単に弾き易くするということではなく、それらの運指・アイディアが、結果として音楽に美しい表現をもたらすものなのか否かという点…この指摘には重い説得力があった。細部にわたり、僅かでも音が濁ると「美しくないね」、不用意な発音があれば「ん、今のは?」と指摘する佐々木氏の厳しい音楽姿勢…それは同様に、アドヴァイスを真剣に受けとめ、プロとしての活動をこなしつつさらに音楽を深めようとする森氏の姿勢にも感じられた。

■いゃ敬服する!でもぼくだったら音を省くね、そのポイントは…
 石村 洋:子供の情景(シューマン)
 受講者の石村 洋氏は、地元の埼玉県所沢市で毎年リサイタルを開催しているベテラン。ことに大作曲家のピアノ作品をギターで演奏することに力を注いでおり、この日はシューマンの〈子供の情景〉を用意した。これは作曲家の佐藤稔氏が全曲を4度低く統一し、ギター独奏用に編曲したもの(未出版)。石村氏は当初何曲かを抜粋して受講することを考えていたようだが、佐々木氏に促され、結局、全13曲を弾ききった。編曲は左手の各指(2、3、4指)のセーハまで繰り出される至難なもの(つまり原曲の音を無為に省略していない)。それだけに苦しいところも散見されはするが、巧みにギター化に成功して美しく響く部分も多い。やはりシューマンのピアノ曲集の編曲を出版している佐々木氏は、かつてこの〈子供の情景〉についても編曲・演奏を考えたが断念したのだという。それだけに石村氏の演奏を聴き終え「いゃ敬服する」と高く評価。しかし「もっと美しくするにはどうしたら良いかなあ…」と、ここでも音楽の美しさに対する追求の姿勢を緩めないのだ。そして「でも、ぼくだったらやっぱり音を省く…」。石村氏からは「第1曲目のメロディーの付点音符と、伴奏音形の3連符のズラし方(歌い方)」など具体的な質問もあったのだが、概ねレッスンは「より音楽的にギターで弾くために如何に音を削るか、変更するか」「編曲者、演奏者の考えと折り合いをつけていくか」に絞られた。

★動きの速いとき、直前にその和音の構成音があるとき…
 第2曲〈不思議なお話〉では和音が厚いと、どうしても付点のリズムが重くなってしまう。リズムが生かされれば、音楽的な魅力を損なうことは少ないだろうということで、このような動きの速い部分は和音の構成音を減らす一つの局面である。その前の和音ですでに同じ音が鳴らされているときも、音を減らす一つのポイントとなる。また省略ではないが、第1曲〈遠い国と見知らぬ人々〉では和音を並べ替え、アルペジョの右手運指を自然にするなどことが提案された。作品が長いため全曲にわたっての検討はできなかったが、これらに従って、佐々木氏「ここはこの音だけで充分だと思うよ」、石村氏「…ああ、その方が良いですね」、といったように佐々木氏の各部分における対処策を、石村氏が実際に試して確認するというやりとりが重ねられていった。シューマンやブラームスのピアノ作品の魅力は、和音の重複が生み出す色合いにある。もちろんそれをそのまま再現するのは不可能であるが、ギターの容易な運指と豊かな響きの確保のために、低音をオクターブ変更すること、開放弦を有効に使うこと、カンパネラの響きを利用すること、音数を減らしたことによる心理的な不足感(心理的かどうかは微妙なところだが)を補うために、スフォルツアンドにおけるアポヤンドの使用などにも話が及んだ。

★楽器を換えてみると…楽器に対してもあくなき追求
 ここで「ちょっとこの楽器で弾いてみたら…」ということで、佐々木氏の640㎜の楽器が手渡される。石村氏が第5曲〈満足〉を演奏すると、やや気になっていた左手押さえの苦しさが解消され、1段とクリアーになったその演奏に聴講者からは溜息が。この楽器は佐々木氏が車で数時間の工房に足を運び、最後はネックの形状等、諸々の条件を試奏・確認した上で塗装に入るという入念な工程のもとに制作されたのだという。もちろんすべての局面で、石村氏にとってこの楽器が自身の楽器(660㎜のベルナベ)よりベターだなどとは言えないわけだが、少なくともこの曲における左手の困難な押弦→和音の明確な発音と音楽の流れという点に関しては目を見張る結果をもたらしていた。音楽表現にもたらす楽器の影響の大きさとともに、楽器についても変わることない佐々木氏のあくなき追求の姿勢に感得させられた。
 「音がビリついちゃったら音楽以前だからね…」これは石村氏の演奏自体に向けての発言ではなく一般論としての話だったのだが、難曲であればこそ容認されてしまいがちな音のビリつき…穏やかな口調によってもたらされたこの一言は、この日の講習会のもっとも厳しい指摘だったのではないだろうか。

■君はヴァイオリンの原譜をつかってるわけだけど…東 隆幸:無伴奏ヴァイオリンソナタ第2番よりフーガ(バッハ)
 最後に東 隆幸氏のレッスンで示された、バッハの作品をギターで弾く場合の「ギターの機能とバッハのヴァイオリン譜についての考え方」について触れる。東氏はスペインでM.バビロニらに学んだ若手奏者。ウォーミングアップなしの難曲だけに、綻びはあったが次第に音楽への没入を深めつつ格調高く弾ききった。
 レッスンでは右手のテクニックの問題とともに、爪の話と矯正具の話が出たが、それについては前出、井上氏のレッスンで紹介した。

★ヴァイオリン譜のアーティキュレイションとバッハの音楽的妥協
 さてバッハのギター演奏に関して佐々木氏が述べたポイントは2点。「ヴァイオリン譜に書かれたアーティキュレイションもまた意識しているか」そしてギターで弾く場合「ヴァイオリン譜の選択が正しい、あるいは最良のものと言えるのだろうか」ということである。先ず最初の点について、演奏を終えた東氏の楽譜を覗き込み、佐々木氏の口から出たのがこの項冒頭の見出しに掲げた言葉。そして「でも、書かれているアーティキュレイションを無視しているところもあるよね」と厳しい指摘がこれに続く。ギタリストがバッハの無伴奏ヴァイオリン作品に取り組む場合、ヴァイオリンの楽譜を用いるにはギター編曲によって追加された音(主に低音、和音)を離れ、原点に立ち戻りたいという目的があるわけだが、音の過不足だけではなくアーティキュレイション(さらにはボウのアップ・ダウン指定)にも注意を払わなければならない。そしてオリジナルどおりに弾けない部分には、どのような(ギターの特性を生かした)処置を施すかを考えねばならないということで、たとえば通常の弾弦では表現できないスラーで括られたフレーズは「カンパネラを用いて余韻を利用することで一息に聴かせることができる」といったように解決例を示した。2つめの点について「バッハはヴァイオリンの4つの弦だけでこれだけの音楽がつくれるということを示してくれているわけだけど」「楽器の機能に妥協しているところもある」たとえばもう1本弦があれば出せる音を(ヴァイオリンでは不可能なので)オクターブ移動しているし、和音が響かせられないところは8分音符で書いている。「でもこの作品のチェンバロ版ではオクターブの位置が違うし、和音も4分音符で書かれている」そのようなヴァイオリの特性を踏まえて記された楽譜を使うことが、果たしてギターにとって最良の選択なのかということである。それらを知った上でヴァイオリン版を使うのも一つの行き方だが、ギターの特性を生かすという点では「チェンバロ版や、さまざまなギター編曲譜」の研究も必要とのことでこの問題に一応の締めくくりがなされた。実際の曲のレッスンでは、長大な作品のため最初4小節のテーマに絞って、細かい分析と実践が行なわれた。〔1小節〕8分休符後のミレミがモルデントを形成するのを意識し、次のミはオクターブ下げられたものとして弾き分ける。〔2小節〕3度の響きを残すが、拍頭ラシ(→次の小節のド)の動きを意識し4拍子のようにならない。〔3小節〕ドはフレーズの終りなので強く弾かない(強いとフレーズが終息せず音楽が先へ続いてしまう)。その後は第1小節の音形の応答であることを意識。〔4小節〕カデンツの形成を意識。上声のミはヴァイオリンでは開放弦を使わない…。この他にも、バッハの無伴奏ヴァイオリン作品については、単旋律もしくは少ない和音で書かれた楽譜の中で、和声(種類とそのおよぶ範囲の解釈)をどう読むか、それによってギター編曲・演奏の場合どのように音を加え、並び替えるかという大きな問題についても話が及んだのだが、レッスンの中でははっきりした結論を出すに至らなかった。演奏の公開レッスンとはまた違った形(レクチャーのような)でいつか取上げてもらえれば嬉しいと思った。

■以上が6人のレッスンの概要である。今回のクラスは熱心な聴講者ばかりの集まりで差ほど問題はなかったと思うが、これを「勉強会」ではなく、もっと多くの人を集めたイベントとして行なう場合、ある程度、譜面が示されるなどしないと聴く側は厳しいだろう。会場には白板(聴講者に筆記して示すボード)も用意されていなかったが、これは佐々木氏が不要としたのだろうか。同様、小休止だけの長時間レッスンについても一考を要したいし、受講者には万全の状態で演奏に臨めるよう欲を言えば控え室などのスペースも設けて欲しかった。もっとも、このような苦言など無用といった感じの受講者、聴講者の真剣な姿勢には感心させられた。前日のリサイタルに続く長時間のレッスンを疲れもみせずこなされた佐々木氏、そして貴重な場を設けてくれたスタッフの労に敬意と感謝を表しつつ、「佐々木忠マスターコース」の報告を終わりたい。

高橋 望