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第13章 トーレスの響き

フリアン・アルカスは、19世紀後半において疑いなくもっとも影響力のあるスペイン人ギタリストだった。
彼はトーレスをギター製作家として認めた主導的な演奏家であり、彼の助言はトーレスの改良の決定要素となっていた。
アルカスはまた、バルセロナをスペインにおけるギター演奏の中心地とする上で大きな役割を果たした。
彼の演奏はアグアドが確立した古典的な伝統に根ざしており、それを父親から学んだ。
1853年、20歳の時、マドリードのポスタス・ペニンスラーレスのサロンでリサイタルを行った。それは当時のすぐれたギタリストとしての名声を確立するのに役立った。

ニコラス・ヒメネスがフリッツ・ビュークにあてた記述によれば、アルカスはトーレスの有名な「レオナ」を1年間借り受けていた。
彼はギタリストであり作曲家だったが、彼の音楽はソルやアグアドのようなレベルに達してはいなかった。
セゴヴィアからは低レベルの音楽だと非難されはしたが、彼は”la guitarra fina”(究極のギター)を広め、大衆ギターとコンサートギターの違いを明確にするという奇跡を起こすことに成功した。
彼はまた、わずかだがギターに新たなレパートリーを作り出した。セゴヴィアが評したように、彼は「自由でのびのびとしているが、洗練されてはいない芸術家」だったのかもしれない。
しかし、彼の影響は広い範囲に見られ、とりわけ1860年から引退した1872年までの間、新しい奏法を考案し、トーレスが押し進めたギター製作の新たな概念を広く聴衆に広めた。
彼の名人芸はトーレスギターに広い表現力を見出し、それによってギター演奏に新たな響き、効果、活力を与えることができた。
アルカスの演奏が低レベルだとの批評は、ギター世界への真の貢献を見逃している。
当時重要だったことは、彼が選んだ音楽の質ではなく、演奏マナーであり、固有の響きであり、革新的なギターが作り出す色彩だったのだ。アルカス氏がコンサートで何をどのように弾いたかを特定する必要はない。

オルフェウス(ギリシャ神話の竪琴の名手)は二分音符や全音符にこだわらなかっただろうし、聖セシリアはおそらく楽譜のト音記号について何も知らなかっただろう。ただ、アルカスが「すばらしい音楽を語った」こと、ケンブリッジの公爵夫人とメアリー王女を含む聴衆が完全に魅了されたことを述べておけば充分だろう。(ブライトン・オブザーバー紙 1862年11月21日)

19世紀スペインにおけるギターは、他のオーケストラの楽器と競う必要はなかった。
聴衆はギターが出せる以上のもの、つまり他の楽器に比べて音量が見劣りするという明らかな欠点の改善を求めなかった。
アルカスが所有し、のちにタルレガ、プホール、クエルヴァス、マンホンらが使用したトーレスギターは、複雑な音楽の構造よりも、スペイン固有で官能的かつロマンティックな強い個性をもった新しい次元を与えることになった。

トーレスギターは、重量が軽く、アルカスの名人芸的な奏法に堂々と追従した。彼はオペラの主題の編曲に、ロンデーニャ、ホタ、ムニェイラ、ボレロのような国民的旋律を結びつけ、スペイン内外の聴衆から賞賛を得た。
ブライトン・ガゼット誌(1862年11月20日)の批評には次のように書かれている。
「すべてのうちでおそらくもっとも楽しかった曲は演奏者自身の手になるスペイン民謡『ラ・ガジェガーダ』だった。それがどれほど魅力的で変化に富んでいたか書き記すことはできない。そこには彼の音楽家としてのすべての資質とギター演奏の技術が現れていた。彼は熱狂の中でコンサートを終えた。」

彼のトーレスの総合的な力量は、聴衆や批評家に気づかれずにいることはなかった。ウェルタやレゴンディのような巨匠とアルカスとの比較が成り行きとなった。

アルカスが弾くとき、トーレスのギターは物を語る楽器であり、また涙を流すギターだった。おびえた響きで鳴らすとき、話しかけるような雰囲気をもって哀願するかのようだったので、楽器が神の力によって訴えているのではないか想像する人もいた。(ブライトン・ガゼット誌 1862年10月30日)

同じ批評家によれば、アルカスはギターの上で実現するのは不可能に思われる洗練、明晰な響き、速さ、正確さをを増していった。1862年11月21日付ブライトン・オブザーバー紙は次のように示唆している。「彼自身が悪魔となってギターの中に入ってしまい、サウンドホールから出ようともがいている。」

時が経って、ふたたび批評家は音響と効果の広がりを認めている。アルカスは彼のギターからうまく音を引き出すことが出来るのだと。
1862年、アルカスはトーレスを携えて英国へ行く途中、マドリード音楽院でコンサートを行った。
それは1862年7月1日付ラ・ディスクシオン紙の音楽批評家の大変な好評を得た。批評家は、その特質と美しく感情豊かな演奏を認め、次のように述べた。
「メロディの単純さと純粋さ・・・驚くべき効果を作り出す音の豊かさと流麗さ。」そのギターは低音部がよく響くだけでなく、深い旋律とのコントラストを作り出していた。

プホールによれば、1862年、カステジョンで行われたアルカスのコンサートの折に、タルレガは初めてアルカスの芸術性に出会った。
アルカスはラ・レオナを使って演奏し、タルレガは「トーレスによってアルカスのために特別に製作されたあたたかい響き」に感銘を受けた。
トーレスは、すべてのギターを越えたものという意味で、ラ・レオナという呼び名をその楽器に与えた。
タルレガのけして忘れ得ぬ印象は、まず1869年製のトーレス作品(FE17)の獲得によって結実した。
彼はそれを四半世紀にわたって使用した。エミリオ・プホールはタルレガの弟子であり賛美者だったが、トーレスを2本所有していて、彼が見たギターうちでタルレガの最初のトーレスを最高のものと見なしていた。
プホールはパリのある新聞のレビューを引用している。「ひとつの楽器がこれまでに作り出したもっとも美しく甘い響きが、非常に難しい楽器から鳴るのを昨夜聴いた。」

1876年、トーレスは11弦ギターを数本製作した。
3本は現存しており、盲目のギタリスト、ヒメネス・マンホンによって弾かれた1本の魅力は、1889年にバルセロナで行われたリサイタルの折に、ミゲル・リョベートに転機をもたらした。
それはリョベートの人生を変え、音楽家として歩むことを決心させ、熱烈なトーレスギターの信奉者へと変えた。
コンサートにおいて、トーレスギターが暖かみのある自然さを経験させ、そのバランスが消すことのできない印象を残すのは確実なことだった。
そしてちょうどタルレガがアルカスのトーレスギターに興奮したように、リョベートはマンホンのギターに熱狂し、リョベートによるリサイタルの聴衆は演奏者の真の音楽的才能だけでなく、楽器そのものにも魅了された。
アイルランドの著作家ヴィリアーズ・ヴァーデル夫人は、パリでリョベートのコンサートを聴く機会をもったが、人を感化させる出来事だったと次のように述べている。

「リョベートは注目に値するギタリストだった。彼は、タルレガ-この50年でスペインが知る最高のギターの師-のお気に入りの弟子であり、輝かしい師と同様にギターを語らせることができた。私がこの音楽家にはじめて会う機会をもったのはパリだった。私は、ショパンの最も優雅なノクターンの最初の音が静かに鳴るのを聴いたときの、強い驚きの感情を告白しなくてはならない。私はギターが深刻な音楽に向いていると思ったことはなかった。しかし、ミゲル・リョベートの手の中で、それはバッハ、メンデルスゾーン、ショパン、ベートーヴェンを奏でた。この響きは信じがたいものだった。そして、ギターは素晴らしく有能な楽器となることがわかった-優れた技量をもつ手によって。コンサートの終演に向かって、我々はスペイン風の曲を求め、彼はタルレガ自身によって作曲されたホタを演奏した-忘れられないスタイルで。」

幸いなことに、リョベートがトーレスを使って残した初期の録音は、彼の音楽的力量と同時に、1859年製トーレスの音を示している。
トーレスが弾かれるのを聴いた狂信者達に生じさせた魅力については、多くの物語がなお語られている。
ラモン・カペル「エル・ヴィエホ」は、彼が数年前にラウーハルの村で目撃したことについて、私に詳しく話してくれた。
ひとりのアメリカ成金(アメリカからもどった裕福な移民)がトーレスのギターが弾かれるのを聞いたとき、その素晴らしいギターを所有したいという誘惑に抵抗できなかった。
彼はその後、所有者の激しい抵抗にもかかわらず、きわめて高額でそれを買い取った。所有者は手放すのに気が進まなかったが、大きく吊り上げられた価格に屈服した。

「ラ・レオナ」についても同様に激しい感情を呼び起こす物語があり、所有者が手放すときの昂ぶりが見られる。
リョベートの娘は、大ギタリストと同様にトーレスを手に入れようとする何人かの狂信者の執念について述べいる。
フランスへの演奏旅行の際、リョベートはフランス系アルゼンチン人の医師ラマウヘと知り合った。
彼はとてもギターを好み、リョベートの親友となって、一緒に行動した。何度かはパルマ・デ・マジョルカのリョベートの自宅へ招かれて滞在した。トーレスを使って作り出されるリョベートの音に惚れ込んで、ラマウヘは彼自身トーレスを所有したいと熱望した。
トーレスだけがリョベートの演奏をまねたいという彼の望みをかなえることができた。リョベートは何本かトーレスを持っていて、この医師にしつこく何度も譲ってくれるように懇願された。
何度もリョベートは断ったが、ラマウヘの根気に負け、ついに一本の売却を承諾した。得られたことに喜んだ医師は、ずっとリョベートの演奏で耳に残ってきた甘い音を出そうと必死になった。
しかしそれは無駄だった。そうしようとする意志はあったが、彼が求めた響きをギターから引き出すテクニックと芸術性が欠けていた。
ある日、医師の乱暴な扱いに疲労して、ブリッジが突然はずれて飛び、不幸な医師の手首を傷つけた。
医師はこのことをしばしば神の報いだと語った。自分は罰せられたのだ:第一に、しつこくリョベートに求めることで迷惑をかけたことを、第二に、トーレスに対して罰当たりな扱いをしたことを。

同じような熱狂がホセ・ロホ・イ・シドにもあった。
彼はトレドに生まれ、3本のトーレスの所有者だった。そのうちの1本は11弦のSE71である。
このギターは無限の喜びを彼に与えた。彼はトーレスを弾くことに取りつかれていたので、譜面台と食卓を兼ねた小さなテーブルを持っていた。弾きながら口をいっぱいに出来るようにである。
ネルハにある彼の所有する美しい土地は、オレンジの木と鉄の柵に囲まれていた。
その地方のジプシー達は、彼の愛するトーレスの音を聴きに集まってきた。最初の音を聞くときには、ジプシーは土地の入口にある門のまわりに期待をもって集まっていた。
彼らは鉄柵に静かに押し戻されながら、ギターの美しい響きに恍惚となっていった。
ホセ・ロホ・イ・シドの義理の息子によれば、メロディーに感動して高まる感情のはけ口を求め、思わず門の鉄棒に噛みついた者もいたという。

トーレスの音には何か特別なものがあって、専門の音楽家だけでなく、労働者の心も同様にとらえた。
トーレスが隣人や友人、家族のために製作した安価なギターにさえ、透明で強い個性と訴える響きがあり、伝説となっていった。
ラ・カニャーダの静かな夕暮れ、ニカワが乾くのを待ちながら、あるいは長時間の作業に疲れて、トーレスは自分の作品で流行りの曲を鳴らしてくつろいだことだろう。
それは立ち聞きする隣人達を喜ばせたに違いない。こうした習慣は隣人やトーレスの家の裏の畑で働く農夫たちによく知られていて、トウモロコシの収穫の時期にも仕事の手を止めることがよくあった。
それは、収穫の際に乾いた葉をむくうるさい音によってギターの音が埋もれてしまわないようにするためだった。
それほど多くの人々を魅了したのは、まさにトーレスの響きそのものだった。

ファン・リエラは、エミリオ・プホールの伝記の中でこう書いている。
マチルデ・クエルバスが彼女のトーレス(FE 11)を弾いたとき、聴衆に巻き起こした熱狂は非常に大きく、彼らは木を貼り合わせて作った物がこれほど素晴らしい響きを作り出すということが信じられなかった。
あるとき、疑い深い人々が奏者の手から奪い取り、特別な響きを作り出す装置が仕込まれていないか確かめた。

ヴィクトリア・キングズレイはトーレスギターの「歌うような響き」について言及している。それはプホールと彼の先妻であるマチルデ・クエルバスがトーレスを弾いたときのことである。

「彼(プホール)は、最初のレッスンの際、すべての生徒に、許可なく他人のギターに触れてはならないと教えた。この決まりは彼とマチルデの間でさえ守られた。ところで彼らは、より大きくて重いギターが流行ることに興味はなく、それぞれ1本ずつトーレスを所有していた。それは実験的に確認されたように、ある部屋から他の部屋へと素晴らしく透過する、歌うトーンをつくり出すと私は断言できる。」

今日でもトーレスの名前はニハルに存在しており、等しく大きな尊敬の念をもたれている。
そしてギターは、良いものもそうでないものも、ラベルの有る無しにかかわらず、トーレスの作品と言われる。
ごく最近まで、そうしたギターのうちで、アントニオ・セグーラが弾いていた楽器について耳にすることがあった。
彼はニハルの生まれで、若いときにトーレスギターを手に入れたのだった。このいかつい労働者は村の接骨医でもあったが、愛するシープレス製のギターを弾いて毎日を終える儀式を欠かさなかった。
彼の家族によると、ベッドの上の伝統的なキリスト受難像のとなりにギターを掛けていたという。
彼は、農家の隅の小さな部屋にひとりですわり、お気に入りのメロディを自分のために弾くのを習慣としていた。
もし演奏の途中で中断されたら、彼は急に微笑み、得意顔で「私のギターの響きは良かっただろう!?」と叫んだだろう。

セゴヴィアが奏者の名誉のために破棄されるべきだとコメントしたにもかかわらず現存しているリョベートの録音がある。
これらの録音は、リョベートの才能や解釈の証を示すだけでなく、その時代の代表的なギタリストによって弾かれたトーレスの音を後代に伝えている。
それは歴史的な資料であり、セゴヴィアが求めた音の水準を満たしていないとはいえ、高い音楽的な価値と、聴く者を魅了する新鮮さをもっている。
そのうちのいくつか、とくにバッハのパルティータ第1番のサラバンド(El Maestro Records)に耳障りな高音が聴かれるのは事実だが、他の録音は、エヴォカシオンやカタロニア民謡のように優れた音楽的価値もっている。


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