この数年間、プロ、アマを問わず演奏家の間で、弦長、材料に用いる木材、完璧なチューニングの方法など、ギターの諸側面に関する関心の高まりを私は注視して来た。
こうした関心は繰り返し商業雑誌に取上げられたが、そうした出版物あるいは個人的な見解の両面で、かなり不確実な点があるのを確認せざるを得なかった。
もちろん、ギターの問題点に関するこうした関心の高まりは、これまでになくこの楽器への注目が払われているわけであり、私にとっておおいに喜ばしい事である。
最も意見が分かれ、対立する論点の一つは、現在ギターの表面板に最も広く用いられている木材のうち、何が音色と効果に影響をおよぼすかという点である。
それはレッド・ウェスターン・シダー、あるいはレッド・パシフィック・シダーと呼ばれるもので、その学名は”Thuja Plicata”で、次に説明するように杉とは何らの類似性も関連性も無い。
このことについて持っている知識を、私の言葉を通して公衆一般にお伝えする機会を持てたのは、非常に喜ばしいことであり、短い経緯から始めることにしたい。
20年ほど前の事だが、私は中米杉(Central-American cedar: Cedrela Odoratta)を入手するのに大いに苦労していた。
それは300年以上もギターのネックを作るために使われてきた材料だった。ある日のこと、私は近所の木材商でなにか(何だったか憶えていない)を買ってくるよう若い雇用人を遣いに出した。
帰った若者は、そこで杉材を売っていたと語った。この言葉をあまり深く考えなかったが、ともかく自分で確かめる事に決めた。そこでこの若者にサンプルを持ち帰るよう言いつけたが、サンプルを手にした時、私は自分の目を疑った。
ギター、ヴァイオリン等の表面板に使われる中南米材は、その年輪が明瞭で、年輪の間の層が日焼けした色合いを持ち、年輪幅が均等で狭すぎも広すぎもせず、繰り返すが際立った年輪をもつものが最上品質のものである。
というのは、年輪(冬目)は楽器の弦と同じ機能をもっており、縦方向の振動には最大の強度を保持するものだからである。(横方向の振動では、結晶性の優れたニスの助けが必要だが、それは全く別の事柄である。)
話を続けよう。
私が手にした杉(サンプル)はこれら全ての理想的条件を備えたものだったが、私の驚きはそればかりでなかった。
私は適当な量のこの木を購入し、年輪に正しく垂直に鋸で切断させ、次いで表面板を作るに要する2枚を切り取った。
それら2枚の薄板を継ぎ合わせ、金属板の上に一昼夜放置しておいた。
翌日、この表面板は完璧に平坦を保ち、端の部分で何らの反りも認められなかった。そうした反りは、同様の条件に晒した他の板には頻繁に起こるもので、極めて驚くべきことだった。
例外的な品質を持ち、安定で堅牢な木材を眼の前にしていたのだった。すぐにこれらの表面板で2本のギターを製作したが、この実験は全ての面で願った以上のものだった。
それ以後まもなく、この木が世界中の殆んどの製作家により、入手が極めて困難となったにも関わらず表面板として用いられている。最近は取引、伐採、販売の仕組みのせいで、入手が困難となっている。
ギター製作の為に選り抜き、最適な状態で得られる場合は、時には中央ヨーロッパの同等の木材以上のコストを要する。
木材業者、製材所の人達、木材倉庫の人達によって一般的に使われる木材の名称は、大きな混乱や誤解を生むもので、時には滑稽なことである。
従って、物事を理解できるようにする唯一の方法は、スウェーデンの植物学者カール・フォン・リンネによって確立された学名に立ち戻ることである。
科学的に認められている杉には二種類のものがある。
その一つは、”Cedrella Odoratta”杉で、落葉樹の被子植物の木で、中央アメリカや南米の熱帯地帯に生え、大変広い年輪幅と良く目立つ気孔を持ち、代表的ギターネックとしてもちいられているものである。もう一つは、”Cedrus Spi”杉で、裸子植物常緑樹でありレバノン(Cedrus Libani)、ヒマラヤ(Cedrus Deodara)、そしてアルジェリアならびにモロッコ(Cedrus Atlantica)に自生している。
Oxford-on-Thames杉にも言及しておきたいが、それは”Chamaecparis Lawsoniana”と名付けられているものであり、一般名と学名が大きくかけ離れている。
赤杉(THUJA PLICATA)は常緑の針葉樹で、植物としては上記の木々とは何らの類似性が無い。
しかしそれは、いわゆるジャーマンスプルース、より正確には”Picea-Falso Abeto”の名で、学名”Picea Abies”の木と極めて類似のものであり、人類の記憶を超えた期間、弦楽器の胴に用いられてきたものである(真正のスプルース-Abies Alba-は主としてパルプや木箱の材として使われる)。
こうしたあまり興味深くない主題について延々と講釈を続けることもできるが、非常に辛抱強い読者を飽き飽きさせたくはないので、私自身の経験に基づいたこれら二種類の木材について、心から感じた事柄に限定する事としよう。
私はPicea-Falso AbetoとThuja Plicataが一人はブロンドでもう一人がブルネット、一方はヨーロッパの、他方はアメリカの二人の美しい姉妹と見なしている。
とはいえ、私自身はブルネットの方を贔屓するのだが,ブロンドを嫌うものではない。私の見るところ、これらの木にどういう名称を与えるかは全く重要でない。
赤杉で作ったギターは数年経てば音を失うとの、ある”品評家”の意見が私の耳に届いている。
こうした言葉はこの木の美に対する言語道断の中傷で、幸運ながら反論不可能な証拠で論破できる。
今でも親密な数名のコンサート演奏家ならびに音楽院の先生方が、私が赤杉で最初に作ったギターを所持しておられるが、それらは日毎に良く鳴っていて、18年あるいはそれ以上古いものである。
私はこの木で1967年に製作した1本のギターをコレクションの一部として所有しているが、それはマエストロ・セゴビアが2年間使い、1967年12月11日にマドリードの”王立劇場”での記念的コンサートで使用したものである。
その機会に、その功績に対し教育科学省の大臣がマエストロに金賞を授与した。
そして彼が演奏したこのギターは今日もっと良く鳴っている。このギターは今では17年間が経過したものであるが、私がここで確認している事柄を直に確かめたいと思われる方には、試奏可能である。
(多数のギター製作家達が間違った技術で響板を薄くし過ぎているのは,悲しい真実と言える。
こうしたテクニックで達成できる事は、せいぜい短い期間の大音量、しかも金属的で乾いた音を発するだけである。
そしてその過剰な振動が表面板の構造を疲労させ、その音を脆弱なものとさせる。
しかし、この方法で作れば、スプルースのギターでも全く同じ現象が起こる。)
イタリアのヴァイオリン、特に古いクレモナ派のものは厚い響板で作り、楽器構造の他の部分で均整を取っていて、正にこれが難しいところである。
それら楽器は比類のない音を維持して今日に至っている。
他方、別な起源の、より軽量に作られたヴァイオリンがあって、製作初期には輝かしく響くと思われたかも知れないが、イタリアのヴァイオリンと比べると遥かに貧相な音のものがある。
私はここで述べた事柄で、何かの隠された利益のためにスプルースをけなし、それにより杉を持ち上げているのではない事を明言しておきたい。
私は両方の木を区別無く用いているのであり、どちらかと言えば杉を多用するのは需要とテクニック上の利便性のためである。スプルースに関して語り得る事の全ては何世紀も前に達成された事柄で、比較的新規なため根拠の無い攻撃に対してやや形勢の悪い杉の肩をもつのが正当だと考える。
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