◆夕レガとラ・レオーナ フランシスコ・タレガが17歳の1869年にセビーリャのトーレスの工房を訪ねた時、まず見せられたギターは二級品だった。ところがタレガの演奏に感心したトーレスは、自分用に大事にしていた1864年製のギター(写真3)を奥から取り出してきた。そして これがタレガが終生愛用するギターとなった。 このギターはタレガ亡きあと、ドミンゴ・プラトを介して、当時まだ10歳だったアルゼンチンのマリア・ルイサ・アニードの手に渡った。その後バルセロナに引越した彼女は生活のために110万ペセタで手放したが、これには仲介者がいたため、アニードには50万ペセタしか入らなかった。その後もこのギターは何人かの手を通ったが、現在は私の友人のブルース・パニスターが所有している。 身長208㎝の大男のこのアメリカ人とは同じ時期にレヒーノ・サインス・デ・ ラ・マーサに学んだ間柄だが、その後彼はギターを辞めて、ギターブローカーの仕事を始めた。その彼からタレガのギターを見せてもらったが、そこにはタレガの喫煙による木の焦げ跡が無数に残っていた。ニスの塗装が剥げているばかりか、木そのものにまで焼け跡は達している。そしてサウンドホールの中は、図2のように3枚ものラベルですっかり塞がれていた。 さて1856年にトーレスは通常の構造とは異なるギターを開発したが、これはのちに”ラ・レオーナ(牝獅子)”と呼ばれることになる 彼の最高級品の第1号だった。トーレスはラ・レオーナを数本しか作らなかったが、最初にこのギターを使用したのはアルカスで、タレガは10歳の時にこの楽器によるアルカスの演奏を聴いてギタリストを目指した。そして同じ1856年に完成したもう1本のラ・レオーナは極上の出来で、のちに”エルビラのラ・レオーナ”として世に知られることになる(写真4)。< アルカスはこのギターを売ってくれとトーレスに何度も言い寄ったが、トーレスは決して首を縦に振ることがなかったという。 そしてこのラ・レオーナは、様々な伝説を生んだ。 1885年、タレガはアルメリアのトーレスの工房を訪れたが、その時にトーレスは彼の最大傑作である先のギターを見せ、次のように話した。 「このギターだけは手放さないと心に決めていましたが、あなたの素晴らしい演奏を聴いて考えが変わりました。愛奏して頂けるのなら喜んで売りましょう」 それに対しタレガは、「この楽器は私が今までに見た最高のギターです。しかし今の私は一文無しです……。これには名前が付けられていないのですか? それなら”ラ・レオーナ”と呼んではどうでしょう」 ラ・レオーナの名は、この時初めて付けられたのである。
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