2001年、シグエンサで開催されたロマニリョスの製作講習会。製作家の田邊雅啓さんによるレポートです。

会場となった修道院

2001年8月、スペイン・シグエンサにて、ホセ・ルイス・ロマニリョスのギター製作講習会「SPANISH GUITAR MAKING COURSE SIGUENZA 2001」に参加することができた。

その後、あっという間に13年が過ぎてしまったが、その時の体験が眩しいくらい胸に残っている。

スペイン滞在と講習をとおして私のスパニッシュギター製作の扉は開かれ、その魅力を知ることとなった。

そこで出会ったのは、ロマニリョスの理想とする楽器への飽くなき追求と、作業能率を度外視した音色のための独自の工夫である。講習会は私の製作における転換点ともいえるものになり、ただ作るのでなく、作品、芸術品として製作することを学んだ。それ以来私はロマニリョスの意思を胸に刻みながら、製作に取り組んでいる。いわば私はあの時から製作家としてスタートを切ったのだと思う。

講習の目標は、ロマニリョスモデルの中で選ばれた設計のギターを、無塗装だが弦を張るまでに仕上げることだ。型や寸法は全て公開される。講義では木材の取扱いから選別、伝統的なスペイン工法により得られる理想的な表板の構造も含めて、基本的な楽器製作から、とりわけロマニリョスによるスパニッシュスタイルの製作方法まで伝授するとのこと。そしてロゼッタや飾りの作り方、Vネックや他の部分の接合、組み立て、さらに塗装方法といった隅々までロマニリョスの製作方法を網羅している。

この信じられないような講習会の話が舞い込んだ。夢にまで見たスペインでのギター製作。それもジュリアン・ブリームをはじめ、多数の演奏家が愛奏し、観客を魅了する楽器を作り出してきた名高いロマニリョスだ。洋書やビデオの中でしかなかった世界が現実のものとなる。その上息子リアムと一緒に指導しながら、2週間かけて一緒に製作してくれるという。ギターの材料と最低限の道具はすべて用意して持込まなければならないが、作業台やギター組立に使う型も各自に与えられ、丸ノコやドリル、ベンディングアイロンなどちょっとした機械も用意される。

しかし、2週間という期間でギターを仕上げるというのは、かなり困難と思われた。作業場を朝7時から夜10時まで開放すると謳ってはいるが、食事の時間などを引いても10~11時間がいいところだろう。(行ってからわかったがシエスタもしなければならない!?)一台仕上げるという目的に対してはある程度準備が必要と感じたが、今までの方法で用意していっても意味がないので、少しシェイプしてほぼ無垢の材料のまま持参することにした。ロゼッタだけは厚い板厚のまま入れておいた。

私は材料と道具類を入れるための、手に入る可能な限り大きいスーツケースと、大きさを調節できそうなキャスター付のリュックと、出来上がったロマニリョスギターを入れる(出来上がるはず!?)ギターケースを手に入れ、荷重超過のエキストラチャージを免れるために恐ろしいまでの手荷物にして(今では不可能)スペインへと旅立った。

講習はシグエンサにあるエルマノス・マリスタスという修道院で行われた。先ずシグエンサの場所だが、マドリッドの北東130キロメートルに位置し、12世紀のイスラム時代の古城を中心とした、中世の面影を残す美しい町だ。古城はパラドールになり、それ目当てに訪れる観光客もいるという。ここにある歴史博物館の一角にロマニリョスがシグエンサ市に提案して立ちあげたギター博物館がある。歴史的なギターやビウエラなど23台の彼の楽器コレクションと、ギターに関する文献や写真、そして忠実に再現されたサントス・エルナンデスの工房などが展示されている。作業台の足元には雰囲気作りにロマニリョスが削った鉋屑まで散っていて、もしシグエンサに立ち寄ることがあったら是非どうぞ。ギター愛好家なら楽しめるはずだ。

修道院はシグエンサ駅から2キロほど離れたのどかな田園風景の中にあった。修道院なのでチャペルもあるが、日本でいう研修センターみたいな色合いもあると思う。トイレ・シャワー付きの宿泊設備と、作業場の外にはバスケットゴールとプールもあった。施設の中のテラコッタの敷かれた広い半地下室が作業場となった。半地下室と言っても、窓は大きく、白い天井に外の地面の照り返しが当たって明るく、窓を開ければ湿気を含まない気持ち良い風が抜けた。外はスペインの8月の強い日差しなのに、とても涼しく快適な環境で、作業していても汗をかくということがなかった。その広いスペースに作業台18台と講習生分の組立型が置かれ、奥にはロマニリョスの型や治具、普段使っているプライベートな道具や機械、作りかけの表板やネックなど材料まで、講習生にとって垂涎の宝の山が所狭しと置かれていた。

 

講習生は全部で17人。スペインはもとより、イギリス、ベルギー、ドイツ、スイスにノルウェー、アメリカ、カナダ、そして日本。彼らのほとんどが一度は製作のしたことのある経験者か製作が生業だ。(日本からは私を含め、尾野薫さん、中野潤さん、佐久間悟さんも参加した。)演奏も達者な人が多く、ロマニリョスが見本として置いておいたトルナボス付の無塗装の新作や、講習生が持ち込んだ自作のギターの音色が講習の合間に木霊していた。スペインの風土のためか素晴らしい講習のためか、その響きはため息が出るようなものだった。 

作業台の場所をくじ引きし、講習がスタート。私は一番後ろになった。ただ出入り口や、いろいろな情報が飛び交う喫煙所が後ろに合ったので、なにかとみんなとコミュニケーションをとることができたのは幸いだった。 

講習の流れは、まずロマニリョスがみんなを集め、製作の講義をして(その作業の意味、注意点、コツなど)、さらに具体的に言及しながら講義に沿って実演をする。講義はもっぱら英語で行われ、苦手な人にはスペイン語で補足が入る。それぞれが倣って作業を始めると、リアムと二人で各作業台を回り個々の質問・疑問を受け、的確にアドバイスをし、手伝ったり再度実演したりするシステムだ。二人とも毎日8時間をかかりっきりで、製作に遅れが出たり、失敗したりしないように、かなり気を配り、時には夜遅くまで付き添ってくれた。時折良い質問が出たり、勘違いしやすいポイントが露呈したりすると、その作業台にみんなを集めにわかに講義となる。非常に勉強になる講義に、みんな作業に没頭していても集合がかかるとあわてて集まり、終わると蜘蛛の子を散らすようにそれぞれの作業に戻っていく。

すべてのロマニリョスの製作には、明確な意図があり、具体的な判断基準がある。そこには一切の妥協も矛盾もなく、研究し尽くした必然性が感じられた。
表板の判断基準は圧巻で、とにかく柾目を、それも縦方向の繊維を注視して、マイクロスコープで木口を見たり、削る出した表面に浮かぶ花のような柾目の杢を「フラワー」と呼び、より大きな花びらが出ることが、縦方向に木目が通り完璧に柾目で木取りされている目安としたり。
思うような材料が得られないならば、接ぎ目を増やしても極上の所だけを使用する。さらには表板の薄さの仕上がり判断も指先で少し曲げてたわみ具合を感じとり、理想の強度になるまで削る。
例えばロマニリョスの表板は中心で2.5ミリ厚、周りで2.0ミリ厚が標準だが材料によってはそれ以下になることも多い。
実際私の表板も柾目の良質のものを選んであったので、マエストロは周りを指でたわませ「1,8ミリくらいでいいかも。」とのこと。ギターのかたちになる太鼓にした後も、表板の中央に駒材より少し大きめの材料を載せて上から押し弾力性を計り、「150番くらいのペーパーを10数回かけて、少し表の板厚を落としなさい。」とのこと。
力木の高さや形状の仕上げも同様だ。表板に張り付けた力木の両端を表板ごと保持してしならせ、コシをみて強度を計る。アントニオ・デ・トーレスが神父に伝えたように、ロマニリョスもまた、最良のギターの仕上げを指先で感じ取るのだ。

 一方でユニークな一面も見せる。スクレーパーの刃の付け方の講義には、一つ一つ真面目に作業を示していたと思ったら、ニヤッとして、「私の世界で一番大事なものは妻だが、2番目は何だと思う?」
「(スクレーパーを目の前に掲げ)このスクレーパーだ!」それぐらい便利だ。
またVジョイントの講義の時は、作業を示そうとするけれど、もちろんすぐには終わらない。
「一日だって、かかることもあるんだ!」
みんなも作業も見ていたが次第にそれぞれ作業に戻り、一人接合を仕上げ続けるロマニリョス。
約1時間後に雄叫びのような大きな声で「完成!」と一人でガッツポーズ!
みんなも手を止めて、拍手喝采だ。
他にもトルナボスの仕組みや、ガイドラインに示してあった約束通り全てに於ける製作工程を順次紹介し講義してくれた。

リアムのアシスタントも有り難かった。常にマエストロに敬意を表し、具体的なフォローは皆引き受け、できる限りの丁寧な対応をしてくれた。それでも皆がうまく作業しているときなど手が空いた時、何かデザインをメモ書きしていて、「新しいロゼッタのデザインを考えているんだ。」とのこと。彼もまた常により良いギターのことを考えている。

そして忙しい最中に車を用意して皆をロマニリョスの自宅兼工房に招待し、工房の様子やギターのコレクションを見せてくれた。その中には例の小さめのトーレスもあった。

あるいはロマニリョスの製作過程をドキュメンタリーにしたビデオも見せてくれた。イギリスの牧歌的な田園風景の中、製作と真摯に向き合い理想の音色を希求するロマニリョスがそこにいた。

講習会半ばには彼を慕うゲルハルト・オルディゲスがアシスタントとして合流し、トビアス・ブラウンも駆けつけてくれ、さらに盛り上がりをみせた。最終的には、過去の講習会に参加経験がありネック等あらかじめ準備をしてきたイギリス人の二人が目標の木地での完成までこぎつけ、弦を張り音を出せた。
残りの講習生全員もギターのかたちの太鼓まで到達し、穴から出てくる太鼓の余韻に酔いしれ満足していた。講習者が仕上げたギターの表板の裏側やラベルには、マエストロとリアンのサインが記されている。

こうして夢のような講習会が幕を閉じた。ロマニリョスという名工の下、世界各国から集まった素敵な仲間たち。作品を作っているときや仕上がったときの、彼らの楽しそうな生き生きとした目が忘れられない。

我々は音楽を楽しむための楽器を作っているのだ。

そして、我々はホセ・ルイス・ロマニリョスとリアム・ロマニリョスのおかげで、伝統的なスペイン工法の本質を、ロマニリョスの製作技法を、体験することができた。
彼が40年近く独学で積み重ね深く理解していった技術を、包み隠さず惜しげもなく、出来うるすべてのかたちで提供してくれた。
非常に価値ある2週間だった。ここで得た経験は我々の製作の柱となり、ここで得た思い出は我々の糧となろう。ギター製作を通して人生を彩ってくれた二人に感謝しきれない。おかげで私は講習以来スパニッシュギターの虜になった.

最後になるが、今回の講習は企画立案からすべて本人とリアムに拠るものである。講義を計画しガイドラインを作り、募集からすべての準備、機械の搬入、作業台や型などの作成にしても気が遠くなるほどの労力だ。そこまでして自分が積み上げてきた技術を伝承しようとするのは、ロマニリョスのスパニッシュギターに対する熱い思いにほかならない。

もっと多くの人にスパニッシュギターの、温かみのある音色の良さを知ってもらいたい、そうしたスパニッシュギターを製作してもらいたい。

一方でロマニリョスは、山を越え海を跨ぎギターが広まったのは良いけれど、それぞれの国で作られるギターはいささかスペインの伝統的な音色・製作からかけ離れているという懸念を抱いている。スパニッシュギターそのものや製作の歴史研究家でもあるロマニリョスは、その素晴らしさを広く伝え、伝統を守りたいという願いから、今までに何十回と講習会を開いた。時には頼まれ、時には今回のように自ら進んで。

一つでも多くのロマニリョスの技術が伝承され、一本でも多くの本格的なスパニッシュギターが製作され、できる限り多くの人にスパニッシュギターの音色が届くことを祈る。それがマエストロ、ホセ・ルイス・ロマニリョスの願いだから。

終わり