12歳からギターを弾き始めていた。
弾いているうちに自分で楽器を作ってみたいという思いが強くなっていった。製作家になりたい。
すでに中学を卒業する時に、やりたいことが決まっていたので高校だったり大学を卒業するまで待ってからその道を志すという考えは全くなかった。
中学を卒業し、すぐ製作の世界に入ろうと考えた。
職人仕事なので始めるなら早いに越したことはないと思ったし両親は、私の自主性を尊重してくれた。
「やりたいことをやればいい」
自身の経験則から子供を導こうとする親が多い中、両親は、「信用」してくれていたのだと思う。
「やりたいことをやればいい」この言葉に、そんな両親の温かい心を感じた。
しかし、製作家としてのスタートは、順風満帆という訳でもなかった。
何人もの製作家に弟子入りを希望するも断られ続け、結局ギター作りを始められたのは16歳の時。
茶位幸信氏の工房主催の製作教室に通うことで製作の世界に触れることができた。
中学を卒業して既に1年経っていた。
15歳の時の1年間は、大人になってからの1年間とは重みが違う。
今考えても苦しい期間だった。
そのことがきっかけで茶位氏が校長をしていたフェルナンデスギターエンジニアスクールに入学することになった。
その頃には、製作をしたいという「思い」は、製作で生きるという「決意」に変わっていた。
フェルナンデスギターエンジニアスクール在学中に河野ギター製作所の櫻井社長に手紙を出してみた。
返事があり、訪問を許可された。
初めて訪問させてもらった時、一通り工房の中を見させてもらいとても綺麗で整然とした工房に感動し櫻井社長の大らかな人柄にも触れここで働かせてもらいたいという思いが強くなった。
その時に櫻井社長からは厳しい世界なのでよほどの覚悟が無い限りは趣味としてやっていた方が良いだろうと言われたが、見てみたい作業があれば来ても良いというお許しをいただき、その後しばらくはほぼ毎日通わせてもらい色々な作業を見学させてもらった。(今にして思うと大分迷惑だったかと思います。笑)
一か月ほど経った時に入社試験を受けたが、試験の結果は全然駄目。
しかし、今の学校を卒業してから見習いとして使ってもらえる事になりとても嬉しかったのを今でも憶えている。
その後学校で初めてのクラシックギターを作って櫻井社長に見てもらい貴重なアドバイスを頂けたのだが当時としては一生懸命作ったギターも今見ると酷い作りで、よく恥ずかしげもなく見せに行けたなと思う。
若気の到りでした。
学校を卒業した後見習いとして働き始め最初はプロの仕事に全然付いて行けず、ある程度慣れるまではだいぶ時間が掛かった。
河野ギター製作所にいた間には色々な国やコンサート等にも連れて行ってもらった。
狭かった自分の見聞を広めることが出来たことは、今考えても貴重な財産だと思う。
河野ギター製作所に在籍中、アウラでも作品を扱っていた辻脇淳司さんとも何年間か一緒に働いていた。
氏がスペインに行った時の話を聞かせてもらったり自身でもフラメンコを演奏しフラメンコギター製作への情熱は凄まじいものがあった。
これからというときに病気により若くして亡くなってしまった事がとても悔やまれる。
河野ギター製作所には2000年から2013年までの間在籍。
この13年間は、子供だった自分が人として成長した時間だった。
この道何十年のベテランの先輩方にも色々な作業について教えてもらった。
感謝してもしきれない。
と同時に徐々に自分の名前でギターを作ってみたいという思いが抗いがたく僕の心に芽生え始めていた。
まずは、スペインに長期で行ってみようと考え、悩んだ末、僕は独立した。
2013年の年末にそれまでお世話になった河野ギター製作所を退社した。
2014年6月これから独立してクラシックギター製作をする上で、前々から行かなくてはと思っていたクラシックギターの本場スペインに行く計画を立てた。
スペイン伝統工法については製作家のネジメ氏や尾野氏から技法や音作り、音の聞き方等を度々教えていただいて、スペインで作られた名器等を見ているうち に、やはり本場に行ってみたいという気持ちが日に日に強くなった。本場のフラメンコも聞いてみたいという思いもあった。(行く前は無知だったのでスペイン 全土でフラメンコが盛んなのだと思っていたのですが、やはりアンダルシアなんですね。)
そして、アウラの本山氏にマヌエル・カセレスの住所 を教えてもらい、ロマニリョスが居るシグエンサにはシグエンサ国際ギターフェスティバルの時に行けば会えるだろうという事で7月に、グラナダでは以前から ネジメ氏にアントニオ・マリンの素晴らしい人柄や思い出話など度々聞かせてもらい、直接お会いしてみたいと思っていたのでアントニオ・マリンの工房に行く ということだけ決めて、それ以外の工房には現地で探しながら行ってみることにし、大きな期待と少々の不安を抱きながらまず最初はカタルーニャ地方のバルセ ロナに向かった。
出発前に多少のスペイン語は勉強しては行ったが、バルセロナに着いて現地の人の話すスピードには全然付いていけず、ましてやカタルーニャ語は何を言ってるのかさえ聞き取れなかった。その後何とか宿までたどり着く事はできた。
バルセロナには友人がいたので、友人がマネージャーを務めているバンドのコンサートやラジオ番組の収録等を見学させてもらったりしながらギター工房の手がかりを探すところから始めた。
その間に行った音楽博物館(museu de la musica)では色々な昔の楽器や19世紀ギター、フレタの7弦等珍しいギターが多数展示されていて、中でも一度見てみたいと思っていたトーレスの横裏板が紙で出来ているギターもあり大変興味深かった。
バルセロナでは、有名なサグラダファミリアにも行った。近くで見るととても巨大で、外側には精密な彫刻が施してあり今まで映像や本でしか見たことがなかったので、個人的には粘土細工みたいなイメージだったのだが、実際に見てみるとその迫力に圧倒された。
その後バルメス地区にあるカサルシアーギターレスというお店を見つけそこでフレタの住所と連絡先を教えてもらい向かった。到着してみると外から工房の中が 見えず入りにくい雰囲気だったので友人に頼んでフレタに連絡をしてもらった。現在は繁忙期だと言うので、スペインを出国するのにバルセロナに戻って来た時 に再度来訪することを約束した。
バルセロナから列車でシグエンサに向かった。
シグエンサはとてものどかな田舎の町という感じで、郊外には松林が広がっていた。
シグエンサに着いた翌日に丁度ギター博物館のあるカサ・デル・ドンセルでロマニリョスのメイキングアスパニッシュギターの出版記念写真展を行うというチラシが宿に貼ってあったのでその時行けば本人も来ているのではないかと思い行ってみることにした。
入口のドアを開けると10人程のシグエンサの人々に囲まれてロマニリョスの姿が見えた。
その後会場に移りロマニリョスがスピーチをした後思い切って声をかけ工房を見学させてもらいたいという事を伝えると明日なら都合が良いという事で伺わせて もらえることになり、翌日約束した時間に緊張しながらシグエンサから車で10分程行った所にあるギホサにある氏の工房に向かった。(ギホサはいかにも製作 家が住んでいそうな山の上の小さな村で、7月だというのに長袖の上着が必要なくらい肌寒い所だった。)工房に着くとロマニリョスとマリアン夫人が玄関の所 で待っていて迎え入れてくれた。
工房ではまず私が持参していたギターを見ていただき表板の固さやサスティーン等について色々アドバイスをもらった後にロマニリョスが最後に一人で作ったという ラ・メディオ・シグロという名前のついたギターを見せてもらった。
そのギターは飾りにとても手が込んでいてとても美しく、驚いた事に無塗装のままで仕上げられていた。
そのギターの表板をたわませてこれぐらいの固さが良いのだという事を示してくれ、その後ギター作りにおいて表板の材質がいかに重要かという事について話を聞かせていただき工房の中を見学させてもらった。
工房は作り途中の表板等が吊るしてありここでロマニリョスギターが作られていたのかと思うと感慨深く、とても楽しい時間を過ごすことが出来た。
工房の中で印象的だったのは古い足踏み式の回転砥石をとても大切に使っていて氏の道具への愛情を垣間見た気がした。
シグエンサ国際ギターフェスティバルが始まるまでにまだ数日あったので、マドリッドまで行きマヌエル・カセレスの工房に向かった。
マヌエル・カセレスの工房はガラス貼りでギター屋のような作りで外から見ていると作業中のカセレスが手を止め私を迎え入れてくれた。
ネックの長靴部分を加工している所だったので、その作業を見せてもらうことにした。
カセレスは歌いながら丁寧に仕事をしていて店の造りや立地も含めていかにも都会のマドリッドのギター製作家、粋な感じの人だと感じた。
シグエンサ国際ギターフェスティバルが始まった。
フェスティバルではロマニリョスの親戚のリカルドさんのギターが展示されていて趣味で一本作ったらしいのですがとても美しいギターでした。(このギターも無塗装のままで仕上げられていました。)
ロマニリョスのドキュメンタリー映像も上映されたのですがその中には講習会での尾野氏の姿も映っていた。
期間中にはカルロス・ボネル氏やカナダ出身の元フラメンコギタリストで今はスペインでギター製作をしているアルカディオ・マリン氏等に食事に誘っていただ いたり、朝にはカルロス・ボネル氏のマスタークラスを見学したりと楽しい時を過ごし、あっという間に2日が過ぎていました。
最終日の3日目にはマリアン夫人が提案して下さり私のギターも展示させてもらえる事になりカルロス・ボネル氏やパコ・ペーニャ氏クリスティーナ・サンドセ ンゲン氏、アリオッチャ・ターベネット氏等のギタリストに試奏してもらい色々な意見を聞くことが出来た。今後ギターを作るうえで大きな収穫だった。
3 日間のフェスティバルは主催者でもあるペペ・ロマニリョス氏がマネージメントを務めるイギリスのロックバンド、ジェイ・スコット&ファインドの素 晴らしい演奏で幕を閉じた。*ジェイ・スコット&ファインドのギタリストのターベネット氏はクラシックギタリストとしても活躍している。
その後近くのバルで行われた打ち上げにも参加して朝まで皆でギターを弾いたり歌ったり、とても楽しい思い出になった。
フェスティバルでは他にも様々な出会いがあった。
ロマニリョスの講習会の受講者でオランダのギター製作家グリート・バン・オプステル、フェスティバルではPAを務めていたロマニリョスの友人のギタリスト でブルースからクラシックまで弾きこなすハビエルさん、特にハビエルさんには家に遊びに行ってトルティージャエスパニョーラ(スペインのオムレツ) をご馳走になったり、ギターや音楽について話したりと、とても楽しい時間を過ごした。
今もハビエルさんが弾く美しいギターの音色が耳に残っている。
その後マドリッドではマヌエル・カセレスの工房に何度か訪れたが夏休みの時期だったのかずっと閉まっていた。
他にはマリアーノ・コンデの半地下になっている工房を見学させてもらった。
マリアーノ・コンデの工房では本人は夏休み中だったが、イーホが工房に居て、出来上がっているギターを弾かせてもらう事が出来た。
ホセ・ラミレスがやっている店でも工房を見させてもらいたいと伝えたが、丁度今1か月間の夏休み中で仕事が再開されるのが9月に入ってからだという事で断念。
その少し後にシグエンサにある古い教会でエレナ・パパンドレウ氏が普段使っている80年代?のロマニリョスと工房に伺った時に見せていただいたラ・メディ オ・シグロを弾くというコンサートがあり二台のギターそれぞれ全然キャラクターが異なり、二台共石造りの教会の中で美しい音色を響かせていた。
場の雰囲気も含めて日本では出来ない貴重な体験。コンサート終了後、会場で突然日本語で話しかけられ、どこかで見た事がある顔だと思っていたらオスカー・ギリア氏。氏はとても日本語が上手でしばらく色々な話を聞かせてもらった。
その後はシグエンサ郊外で行われていた野外音楽フェスティバルでハビエルさん達と朝まで過ごし翌日マドリッドの宿に戻った。
次はいよいよグラナダに行こうという事を決めマドリッドから高速鉄道AVEでグラナダに向かった。
グラナダは私が思い描いていたスペインのイメージそのままで、街にはフラメンコギターを奏でる人がちらほらといて街並みもとても美しく、それほど広くはな い街の中にギター工房が点在していてまさにギターの故郷といった感じの街だと感じた。(マドリッドやシグエンサがあるカスティージャ地方は荒涼とした気候 でしたが、グラナダはもう少し潤いがある感じがする。因みにバルセロナの梅雨時は日本みたいにじめじめしている。行く前にはよく解っていなかったが、ス ペインといっても場所によってだいぶ気候が違う。)
グラナダで泊まった宿の従業員の人でフラメンコギターを弾いている方がいたので、何軒かの工房の住所を聞き、まずはアルハンブラ宮殿へと続くゴメレス坂の途中にあるフランシスコ・マヌエル・ディアスの工房に向かうことにした。
マヌエル・ディアスはイーホと一緒にたくさんの道具やギターがひしめきあった工房で仕事をしていた。
とても親切な方で一通り工房の中を見させてもらった後、氏にアントニオ・マリンの工房の住所を教えてもらい、アルハンブラ宮殿近くにあるアントニオ・マリンの工房に向かった。工房の前まで行くと扉が少し開いていたので中を覗いてみると正面にアントニオ・マリンが仕事をしていて手招きしてくれ、中に入ると隣にはホセ・マリン、奥ではホセ・ゴンザレス・ロペスが縁巻きを接着するのに巻いた紐を外していました。
アントニオ・マリンには自分の作ったギターを見てもらい貴重なアドバイスをいただいたり、私が工房に居る間にも色々な人が出たり入ったり、まさに本場のギ ター工房という感じでしたね。とてもやさしく、カッコいい方でした。グラナダには暫くの間滞在していたのでその後も何度もアントニオ・マリンやマヌエル・ ディアスの工房にはお邪魔して作業している所を見学させてもらった。
アントニオ・マリンの工房では他の皆が夏休みを取っている時もアントニオ・マリンだけは一人工房に出て仕事を続けていて、本当にギター製作が大好きなのだなという事が伝わってきました。
グラナダではその他にへスス・ベジート、現地でお会いした親切なグラナダ通の日本の方に連れて行ってもらったラファエル・モレノ、フアン・M・ガルシア・フェルナンデス等の工房にも伺い作業の様子を見学させてもらった。
ラファエル・モレノにはビールをご馳走になり、氏もビールを飲みながら丁寧に縁巻きを巻く仕事をしていたのがとても印象的だった。
へスス・ベジートの工房 ではセラック塗装をしている所を見させてもらった。
グラナダで滞在していた宿にはアメリカのJAZZギター製作家でクラシックギター製作の勉強に来て いた方や、ベネズエラから来ていたフラメンコギターコレクターの方等長期で泊まっている人が多く、夜には語り合ったりコンサートやタブラオに行ったりと楽 しい日々を過ごした。(現地でお会いした日本のバイラオーラの方達に有名な洞窟のタブラオに連れて行ってもらったりもした。)
グラナダに居る間にはアルバイシン地区にあるサンニコラス展望台で洞窟住居に住んでいるちょっと変わった人とも知り合いになり、自宅に遊びに行った。中は8畳くらいの部屋が2つとキッチンがあり意外に広く、辺りは電気が無いので真っ暗でグラナダの街の夜景が一望出来、とても綺麗だった事が思い出される。
グラナダは、とても快適で名残惜しかったが、その後はバスに揺られてコルドバに向かった。
コルドバではロマニリョスの口輪のモデルになっているメスキータに行ったり、ギター工房ではマヌエル・レジェス・イーホ、グラシリアーノ・ペレス、エルマ ノス・ペーニャ(パコ・ペーニャの親戚の工房です。)等の工房に伺いグラシリアーノ・ペレスの工房ではビセンテ・アミーゴのギターの製作過程を見られたり、エルマノス・ペーニャ工房では地下に保管している大量のシープレスの原木を見せてもらった。
ある日エルマノス・ペーニャ工房で知り合ったカンテ歌手 の方に地元のフラメンコ仲間の寄り合いに連れて行ってもらいコンサートやタブラオとはまた違った素朴なフラメンコの魅力を感じることが出来た。アンダ ルシア地方ではフラメンコが自然と人々の間に溶け込んでいる感じがした。そこで飲んだ独特な味のコルドバワインがとても美味しかった。
コルドバの後はマドリッドで数日マヌエル・カセレスやマリアーノ・コンデの工房に伺ったりして過ごし、その後バルセロナに戻りフレタの工房に行くことにした。
工房では自分のギターを見てもらい貴重なアドバイスを頂き、製作中のタイコ(ボディー)まで出来たギターを見せてもらったり工房の中を見させてもらったりした。
フレタ3世はとても気さくな方だった。
そして、数か月間のスペイン滞在が終わりを迎えた。
今回スペイン各地の工房を回ってみて色々な製作家の方からいただいたアドバイス Poco y Poco (少しづつ)
流れの速い現代社会の中でスペインのギター工房ではとてもゆっくりとした時間が流れ、皆さん本当に丁寧に楽しみながら仕事をしている印象でした。
特にアンダルシア地方の工房では訪問者が入れ替わり立ち代わり訪れ、話をしたり修理のギターを持ってくる人がいたりと土地に根付いた奥深いギター文化というものを感じることが出来ました。
突然の訪問にもかかわらず快く見学させていただいた製作家の方々、友人や現地で出会った方々どうもありがとうございました。
この経験を糧にし、これからの自分のギター製作を地道に進めていきたいと思います。
そして、またスペインに行きたいと思う今日この頃です。
清水優一